ライフジャケットの大切さについて、現役漁師さんの
体験レポートを送って頂いたので是非最後まで読んで下さい
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いのちの瀬戸際(海難事故と遭難救護の記録)
連休中5月3日の出来事です。タコツボ漁に海へ行っていた日のことです。
タコツボの作業をしているとき、ボートが転覆して落水し、人が溺れかけている現場に出くわしました。タコツボ漁の作業しているところから100mほど離れた海域です。私は現場に向かいました。
ゴムボートは裏返しになり、一人はボートの縁につかまっていました。一人はボートから離れて必死で泳ごうとしていました。
船をゴムボートに近づけ、エンジンを切って救助体制を整えました。
落水して泳ごうとしている男性を救助しました。手を伸ばしてつかもうとしましたが、最初は手が滑ってつなげません。男性は海中に沈みかけ、船から体を伸ばして何とか手をつなぎました。引っ張って船の縁をつかませ、船に積んでいたラダー(ハシゴ)をかけて船内にあげました。
続いてもう一人の男の人を船に上げました。ゴムボートも船に引き上げました。
転覆したボートに積んでいた荷物は海上に散乱して浮いていました。風に流されていくのを拾い集めました。
貴重品(車のキー・携帯電話・財布)は、全部海中に沈んだのです。男性はそれを嘆きながら「とにかく命が助かってよかった」顔は蒼白になりながら言いました。
携帯電話に家内から電話がありました。なかなか海から帰ってこないので心配していたところでした。救助の状況を伝え港に向かいました。
救助した2名を乗せて漁港に着岸しました。県外から釣りの来ていた五十代と三十代の男性です。五十代の方は体が震えていました。家で風呂に入ってもらい、家にあるもので着替えをしてもらいました。
免許証なども紛失したので彼らは警察に電話しました。警察官1名と海上保安署員5名が来て、漁港で取り調べがありました。
男性の自宅の方に電話がつながり、家族が合鍵を持って大阪から向かうとのことです。3時間半ほどかかります。その間、家で食事をしてもらい、温かいコーヒーを飲んだ頃に、ようやく顔に安堵感が出てきました。日常の話を談話しながら4時間ほど経った頃、家族が迎えにきました。無事見送ってホッとしました。
五月のこの時期、海水温は16℃くらいです。落水すると冷たい水で体が動かなくなります。しかも服を着ているので、思うようには動けません。体はどんどん冷えてきます。低体温になり体力がなくなると沈んでしまします。今回の場合、落水して直後10分程度で救助できたことで大事にならなくて良かったのです。30分以上経過していたら、事態は深刻になっていたかもしれません。
いつもは午前中にタコツボを上げに出漁するのですが、この日に限って午後の出漁でした。しかも、この日はタコがたくさん入って作業に時間がかかっていました。早く作業が終わっていたらこの現場に遭遇していなかったのです。
命の瀬戸際に出くわし、私自身も鼓動がなかなか治まりませんでした。翌日は体がガチガチになっていました。いつもの作業だとこんなにならないけど、救助の時は結構力が入っていたのだと思う。
海という現場、遭難した人を助けるのは当たり前のことをしただけです。
1900年の起きた韓国船遭難救護の事件を改めて思いました。まさか、自分がこんな場面に遭遇するとは思ってもいなませんでした。人生の貴重な場面はこんな風に展開するのかと思いました。何か役に立つために存在しているのかと改めて思いました。
翌日5月4日の新聞には、北海道の阿寒湖でボートが転覆して2名が死亡、屈斜路湖でも1名死亡の記事が出ていました。
海は板一枚地獄の危険な現場です。海へ出るときは、天気予報、波浪状況、経ヶ岬灯台のライブカメラの画像の確認、携帯電話の確認、ライフジャケット、水、はさみ、燃料の点検と予備燃料の積込、エンジンが止まった場合のオールの積込、落水したときのハシゴ、などなど緊急事態の準備はしています。
私自身が遭難したり、救護されたりということもありうるのです。海で命を助けあう、海民が昔から当たり前のことの貴重さを実感した日でした。
今回の転覆遭難事故の男性2名ともライフジャケットは着用していませんでした。どんな場合も、ライフジャケット着用は大事です。いのちのジャケットです。
知人から遭難救護の実録を書いて欲しいと依頼され、ふりかえって記録しました。
大森和良 2024,5,18